Pharmaceutical Journal 

Monologue Part II

 『Initiation Day』。その言葉の意味を学部の教授の一人から聞かれたとき、一瞬オウム心理教を思い出してしまった。実はこれ、日本の会社における『入社式』のことを指すらしい(彼は新聞記事で読んだらしいが、自分は直接読んではいない)。そこには『新入社員が一同に会し、社長が企業として歓迎の意を表する』という内容があったそうだ。平均4年に1度転職を繰り返すアメリカ人にとって、このシステムの意義を知ることは到底不可能と思えるが、これに『終身雇用』の概念を加えると『日本人の勤勉さ』が比較的理解しやすいらしい。個人主義をモットーとするアメリカにおいては、毎年5月に一斉に卒業する学部学生に対しても入社式なるものはなく、個人的に社長や上司からガイダンスを受け、ばらばらに社会へと浸透していく。企業は彼/彼女らの才能を買ったのであり、それに応えなければ容赦なく解雇される。したがって、彼/彼女らも生き残るためには必死だし、値しないとわかればさっさと離れていく。その程度により『勤勉さ』もまちまちで、世界共通一般的に100%の満足は得難く、結果『勤勉』な人間は少なくなる。一方日本人の場合、『Initiation Day』にて会社として歓迎の意を表し、『終身雇用』で安定を約束するわけで、その見返りとして『忠誠』と『勤勉』というのはわかりやすい図式らしい。しかしながらそこに一つの誤解があることに気がついた。アメリカにおける就職がほとんどの場合学部での専攻に則って行われるため、その常識を持ち込んでいるのである。つまり企業は個人の『専攻』に則って『終身雇用』したと勘違いしているのである。だとすればある意味で理想であり、『勤勉』になるのは至極当然だと言うのである。しかしながら実際はご存知の通り、『専攻』を生かして就職した人がすべてではないし、たとえそうでもそれに『終身』携われる人は稀と言っていいだろう。その事実をもってなお日本人は『勤勉』であるという事実が理解されていないのである。
 実はかの教授、先日Science誌にポスドク募集の広告を出した。世界中からの応募に当然日本人も何人かいた。そのレジュメをレビューする課程で彼は不思議なことに気がついた。日本人の応募者の専攻だけが募集テーマに必要とされるべき知識から若干離れているということである。確かにポスドクテーマはそれまでのテーマと異なる方が自分の領域に幅ができる分よいとされる。しかしながら一方で短期間での成果を期待されるため、同じ領域内というのが採用する側としても安全である。つまり『代謝』研究に『生化学』研究者はあっても、『内科』の臨床医はありにくいのである。もちろん日本の多くの臨床医が基礎も行うケースを彼は知らない。この場合の共通点は『肝臓』ということだけだった。したがって、『臨床論文が主で、代謝に特筆すべき知識や技術がないかの研究者がなぜ?』という疑問がでたらしい。5通ほど似たような応募があったが、いずれも日本人のものだった。先述の『終身雇用』の話ではないが、同様の誤解は日本の研究者にもあるのかもしれない。つまり、アメリカ的にとらえれば『ポスドクも解雇がある』という事実。すでに自分の知っているだけで3年間に5人が途中解雇されている。多くの日本人研究者は日米のラボ関係で派遣されるため、その憂き目にあうことはあまりないが、今回のように一般募集の場合、採用されてもその働き如何によっては半年を待たずして解雇→帰国の運命が待っているのである。ポスドクになればあとは安泰、その考えは日本的なのである。

(April 12, 1999)
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