Pharmaceutical Journal 

Kind Enough ?

 アメリカに来て多くの人が気付くことに、ハンディキャップをもつ人の多さとそれらの人に優しいシステムであろう。どこの駐車場にも彼ら専用のエリアがあるし、ほとんどすべてのバスに車椅子昇降用のマシンが装備されている。映画館にも車椅子専用のスペースが設けられているし、前席との間隔が広くしてあるところもある。そのためもあって、こちらの人々は彼らに対して非常に寛容である。寛容であると思うこと事態、自分の感覚が日本人なのかもしれないが、バスがそのために5分費やしても乗客は誰一人文句を言わない。
 医療においても同様で、弱者である患者本位の治療が施されることに多くの力がかけられている(それでも国民皆保険制度のないアメリカでは、まともな治療すら受けられない多くの患者がいることが問題視されているが、、)。患者本位の治療が施されるためには、あらゆるステップで多くの人がケアに携わらなくてはならず、薬学教育においても、そういった面を反映して、さまざまな面からの教育が盛り込まれている。その中の一つにPhamacy Practiceというコースがある。医薬分業の確立しているアメリカにおいては、処方された薬の飲み方の説明、注意、患者からの質問などは薬剤師が担当する。したがって、こと薬に関しては患者の相談にのるのは薬剤師なのである。つまり知識だけでなく、いわゆる人とのおしゃべりまでプロにならなくてはならないのである。当然事務的に話すことも許されず、患者に理解してもらって、しかもイイ印象を与えなくてはならないのである。このコース、どちらかというと知識偏重型の若い学生が苦手とし、人生経験の豊富な学生が有利となる。先日、コースの学生と話していて、避けるべき表現や話題などまであることを知った。たとえば、理由も言わず「よくなりますよ」と言った場合、かえって不審に思われるんだそうだ。必ず、「この薬のこういう効果で2、3日のうちによくなりますよ」と言うのだそうだ。その2、3日もどこかの天気予報のようにいい加減ではいけない。2、3日が1週間になったとき、患者にとってその薬剤師は信用のない薬剤師となってしまうのである。さらに「もし2、3日で治らないときはもう一度来てください」などとバックアップサポートの言葉も付け加えなければならないそうである。さもないと、万が一のときに「それさえ言ってくれれば、、」と言うのを理由に訴えられることもあるらしい。思ったことをさっと言ってしまう傾向のある若い連中には苦手なコースとなるようである。もちろん自分にはつとまりそうもない。
 先日CVSで働いている友人から次の話を聞いた。ある初老の女性が2枚の処方箋をもって来た。よく見るとまったく同じ薬で、一つは錠剤、一つはシロップだった。不思議に思った友人は確認のため担当医に電話をした。すると医師はこう答えたそうだ。「彼女(患者)の中に二人いて、そのうち一人は錠剤を飲めないんだよ。」友人は彼女に説明した。「錠剤が飲めるときにはこっち、飲めないときはこっちを飲んでくださいね。」彼女はこう答えたそうだ。「こまちゃうわよね、今どき錠剤が飲めないなんて。練習させとくわ!」ここまで来ると、何でもありのような気がする。

(March 2, 1998)
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