Pharmaceutical Journal 

Final Defence

 こちらの博士課程の最後の難関、最後の口頭発表と質疑応答は通常こう呼ばれる。なぜDefenceか?当初、肌でこの意味を感じることはできなかったが、何回か他人のDefenceを見聞きするたび、その言葉の意味を肌で感じることができるようになった。MCVの場合、Final Defenceは学位申請論文を元にした一時間の発表とその後に続くコミッティメンバーとのディスカッションで構成される。コミッティメンバーは薬学部から3名、他学部から2名の最低5名の教授からなるいわゆる試験監督で、通常学生が自分の論文の性格に併せて選択、お願いして決定される。一時間の発表なんてさほどの脅威でもないが、問題はディスカッションである。各コミッティメンバーの質疑応答は最低20分以上とされ、そのやりとりをコミッティメンバーが全員採点するのである。その質問は、非常にリーズナブルなときもあるが、突拍子もないときもある。たとえば、「君の実験では動物を使っているが、動物実験に反対する団体に対してどう君の実験を正当化するか?」とか「使った薬物Aに似たような薬物Bがあるが、薬物Bを使ったとき、どういう結果が予想されるか?そして君はその実験をやるとしたらどういう位置づけでやるか?」などである。ただでさえ、緊張してモノがスムーズに考えられない状態に、こんな質問ではネイティブのアメリカ人でもしどろもどろに陥る。二つ目の質問をされた学生は、「5分下さい。」と言って、黒板に構造式を書き、考え出したと言う。それでも言葉が満足に出ず、この問題について考えて後日レポートを出すことを条件に博士となった。つまり、Final Defenceは文字どおり、自分が4ないし5年やってきた結果を『守る』ための試験である。そのためにはあらゆる知識を総動員して答える必要があり、当然あらゆる知識の取得が要求されるのである。その範囲は単にサイエンスだけにとどまらない。そして、約2時間のディスカッションで自分の結果を『守り切れた』とき、はじめて博士誕生になるのである。
 先日グループ内で発表する機会があり、そのときに助教授、教授から次から次へ1時間にわたって質問を受けた。そのさなか、本当に自分が戦争で攻撃されているのを、一つ一つ切り返しているような錯覚に陥った。「あっ、これってDefenceの醍醐味なんかな!?」とも思ったが、あまり楽しくないものである。日本の会社にいたころ、何度となく発表の機会があったが、こんなことを感じたことは一度としてなかった。もともと「発表はエンターテイメントだ。」と思って得意にしていた自分だが、この時はじめて「発表しているのが怖かった」というのが正直な気持ちである。今度は「怖かった」とも思わずに終わってやるう、と誓ったものの、はたしてそうなれるか、結構心配だったりもする。次の発表の機会は来月の終わりの予定。

(November 21, 1997)
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