Monologue on a Fine Day 

To be, or Not to be,,,, Part II

 ここ1、2週間実験を再開して、『結局、自分は実験が好きなんだ』と言うことがいやというほどわかった。しかしながらこれは、研究者に必要条件でこそあれ、十分条件ではない。頭にある疑問に答を出すことは必要だが、頭に浮かばない疑問を考えつかなければ十分でないのである。その作業を要求されたとき、とてつもない自信喪失と不安にかられるのであろう。渡米する決心のきっかけをくれたDr.Tの『次回そうならないようにすればいいだけさ。』という言葉を思い出していた。
 今、ここにいる自分:渡米して学位をとるのだったら、『この人』と決めていた。1995年のクリスマスイブ。その彼からの一通の手紙。フルサポートつきの入学許可。フルサポートとは言っても給料は当時の生活を再現するほどはなく、苦しい生活を強いられることにはなるが、そんなことはどうでもよかった。そこには、『この人』と決めていた彼に選んでもらったという嬉しさだけだった。そして渡米。緊張と驚きとの数ヵ月がすぎ、毎日を楽しめるようになってほぼ3年。『この人』と決めた感覚は正しかったと、今自信を持って言える。世界的権威でありながらも奢ることなく、研究者としては超一流、教育者として厳しくも、暖かい。それが我がボスだった。この春体調をくずしたのが、このメンタルな葛藤が原因となっているかは不明だが、彼も自分の異常を察知したのか、この一時帰国の前、わざわざラボの部屋を訪ねてきてくれたことがある。たくさんの新しいこと(授業で教えるとかグラント申請など)と実験ができなかったことでプレッシャーがあったのでは、と話すと、『ヒロ、僕も博士を取って間もないころはそうだったよ。でも結局、研究者である前に人間なんだから、人生を楽しまなくちゃ。』。いつだったか日記に『近ごろ楽しめてない』と書いたことがあった。そして、このボスの言葉で楽しめる方法を見つけようとしていない自分に気がついた。いつの間にか受け身になっていたようである。3週間の一時帰国を経ての再渡米。たくさんの応援してくれる人々がいるということに感謝を感じるとともに、だからこそ自分の人生を楽しむよう積極的にならなくては、と思いはじめたら、少し気が楽になった。
 
いつかどこかにいる自分:一時帰国中、『学位とったらどうするの?』と会う人ごとに聞かれた。ほとんどの人には『内緒!』と答えたが、その中の選択肢には『研究をやめる』も含まれていた。自分の人生を楽しむことを考えたとき、日本とアメリカ、どちらで楽しめるかはまだ答を出していない。いずれにしても、『次回そうならないように』努力をし、まず『人間』であることを意識しながら、研究を続けることが一番楽しめる方法なのではないか、と漠然と思っている。『研究をやめる』という選択肢はどう考えても自分に『楽しみ』の可能性をもたらさないようだ。しかし手前味噌になるが、『自分が生きてるな!』って感じるのは結構いいものである、、。同時に『無力だな!』とも感じるけれど、、。

(June 25, 1999)
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