Monologue on a Fine Day 

Reminiscence 2

 Reminiscence 1の続きである。写真の中央、校長(知らない人)の横に、今は主任となったK先生がいた。彼は5,6年のときの担任だった。歳の割に外見は若く、写真でも当時とあまり変わらないのでびっくりしたくらいだ。スポーツ万能で、比較的格好いいので女生徒の人気は抜群だった。男子生徒は週一回放課後にするラケットベース(バットの代わりに軟式のテニスラケットを使う)でピッチャーの彼からホームランを打つのに夢中になった。
 課題の達成のときにもらえる『しおり』は直筆のイラストと裏に書かれるコメント欲しさに、生徒全員ががんばったものである。そのうちの1枚がなんと今手許にある。すでにリボンはどこかに行って、紙も黄色くなっているが、裏に書かれたコメントとサインは今もはっきり読める。なぜこれを持ってきたのかわからないが、何回かの整理のたびに捨てられずに、ここアメリカまで来てしまったのである。そこには「Aをとることによって一つの目標を達成したわけです。またがんばりなさい。」と書かれてある。多分、捨てられなかったのはこれが自分のモノの見方の原点だからのように思う。研究を始めて、思ったようなイイ結果が出たとき、普通はもろ手を挙げて喜ぶものである。インド人の同級生なんか「お祝いだ」とか言って、次の日をオフにするくらいだ。しかし、自分はいつも小さく、「よしっ!」と言って、次を考えてしまう。日本にいた頃もここアメリカでも「クール」と言われてしまう。多分、自分の中で、その「よしっ!」のあと、すぐこの『しおり』の言葉が出てくるのであろう。考えて見れば今、ここにいるのもこの『しおり』の言葉にしたがってきただけなのである。だからいつも手放せないのだろう。
 たった一通の同窓会便りであるが、6年間を過ごしたそこから学んだことは多かったことを思い出させてくれた。そして今、曲がりなりにも学生を教える立場にもいて、改めて教える楽しさと難しさを感じている、ちょうどそんなときだった。いい教育を受けさせてもらったのだから、いい教育を伝えなくてはいけないのだが、そこに自由とはいかない言葉のジレンマがある。こんなとき、彼らならどうするであろうか?そんなことを考えてしまった、暖かく懐かしい記憶である。教育はやはり難しい!

(November 19, 1997)
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