Monologue on a Fine Day 

Mental Preparation

 記憶をたどったとき、鮮明な記憶として強烈に残っている期間となぜかぽっかり空洞として残っている期間があるのはみんなそうなのであろうか?特に自分の場合、強烈な記憶は空洞の期間の中にその代表のような形で存在する。そして空洞の期間は、自分の物理的、精神的な環境が著しく圧迫された時にやってくるようだ。今までを振り返ってそんな時が2回ほどあった。最初は、今は亡き妹が自分の目の前で交通事故にあった時から今の妹が生まれるまでのほぼ1年。事故と葬式の風景しか記憶がないのである。当時は小学生であったが、子供ながらにショックだったことを覚えている。何よりも一番大切にしていた妹だっただけに。そして2回目が渡米前の半年。様々な準備をしつつ、友人等に開いてもらった送別会も実は記憶が曖昧なのである。そしてこの時は、一番大切にしていた彼女の最後の言葉が記憶として残っている。偶然なのか、自分のそういう時期は2回とも自分の一番大切だった女性をなくした時だった。そしてその記憶をよりどころにしてタフな時期を乗り越えてきたんでないかと思う。端から見るとひょうひょうと悩みなどなさそうに見えるらしい自分だが、結構メンタルには弱いことは自覚もしているし、自分をよく知る友人なら大抵は知っている<ね、にのちさん(^^)。
 そして今なんとなく3回目が近づいてきているような気がする。具体的に何がどう圧迫されるのか、などは色々ありすぎて書ききれない。人によっては『何だそんなこと?』てなこともあるかも知れない。でも今回はいくつか状況が違うことも認識している。精神的に準備する期間も与えられた。幸か不幸か、一番大切にしてきた女性もいない(はずである(^^;)。そんでもって記憶に残すためにHPも利用することにした。準備は万全である。どうせならしっかり記憶に残しておこう。空洞の期間にならないように。記憶の中にしかいないのは二人で十分だし。

(April 12, 2000)
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