Monologue on a Fine Day 

"Euphemism"

 いつのことだったか、日本において、その題名の持つ差別的要素により、絵本『ちびくろサンボ』が廃刊になったとのニュースが流れた。さらに今では『父兄会』でなく『父母会』とする小中学校の方が多いはずである。呼称が改められてどの程度その真の効果が達成されたかは別として、言語学においてこれらは『Euphemism(婉曲語法)』という現象で呼ばれる。アメリカ生活を始めて様々な状況に接するにつれ、同じようなEuphemismが英語の世界にもあることを知った。例えば、『黒人』を指す英語。古くは『Nigger』、『Black』があり、一時は『Colored』なども使われたようである。しかし現在では『African-American』と呼ぶことがほとんど義務化されている。それから『障害者』。『Handicapped』や『Disabled』などの否定的な表現は避けられるべきで、『Inconvenienced』や『Handi-capable』などが前向きな表現とされた。最近ではほとんど『-challenged』という表現が使用され、例えば聴覚障害者は決して『Deaf』とはせず、『Aurally-challenged』となる。これらの表現は政治及びテレビやラジオなどでの公共での発言にしばしば聞かれ、『太った人』は『Horizontally-challenged』になるし、『髪の少ない人』は『Follicularly-challenged』となる。ここまで来るといささかわざとらしいことが前面に現われすぎるようで、その使い方に苦労している政治家も少なくない。
 これらのEuphemism英語の中で、我々日本人の多くが未だに理解せずに使っている言葉がある。それは主に『男女』の言葉の中での使い分けに関する英語である。たとえば、『Stewardess』。日本では『スッチー』などとするマスコミもいるようだが、こちらではすべて『Flight Attendant』となる。さらに『Actor/actress』。アカデミー賞などでわかるようにこれらは『Male/female actor』となる。つまり女性を表わす接尾辞である『-ess』はほとんどの場合使われない。実際よく考えるともっともで、女性の医者を『Doctoress』と呼ぶ人はいないだろう(実際語彙としては存在する)。『Chariman』、『Spokesman』もその類で『Chair person』、『Spokes person』となる。以前日本で『アンカーウーマン』という映画が公開されたが、原題はそうであるはずがなく、翻訳者の配慮のなさが起こした結果といえよう。これは正確には『Female anchor』もしくは『Female presenter』となる(確かにこれでは映画のタイトルとしてはしっくりこないが、、これについては持論を後日。)
 さて、正確には『Euphemism』に属するかはっきりしないが、何も入れないコーヒーを指す『Black coffee』。これも公共の場では避けるべき言葉である。この場合は『Coffee without milk』となる。それでは『Jap』とも『Nip』とも呼ばれてきた『在米日本人』はどうなるのだろうか?通常なら『Japanese』でよいだろうが、それではアジア系移民である場合は?これは『Asian-American』とか『Oriental』となる。中国系移民は全米人口ので数%を占めるが彼/彼女らをしばしば『ABC』と短称する。これは『American-Borned Chinese』の略であり、特に差別用語とはならないようである。となれば、日系移民は『American-Borned Japanese (ABJ)』であり、日本で生まれて日本人である自分はさしずめ『Japanese-Borned Japanese (JBJ)』といったところか。もちろん、そんな表現はないんだけど。

(December 22, 1998)
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