Monologue on a Fine Day 

I wish I could see you again !

 ちょうど1年前の今ごろ、きまって東海岸の23時なると、オープンしたばかりのとあるチャットルームに集まる仲間がいた。一般的にはまだ異質のコミュニケーションに該当するであろうチャットだが、日頃日本人と接する機会の少ない在米日本人にとってそれは『しっかり現実の』(少なくとも自分には)コミュニティーの一つであろう。毎日下らないことをしゃべりながらも、いつしか当然のように集まり昨日の会話の続きをするのである。メールアドレスを交換し、お互いの名前を知っているのはまだいい方で、いわゆるハンドルネームしか知らない関係もあった。東海岸と言っても誰一人近いわけでもなく、自分もその中の一人としか実際会ったことはない。しかし、自分の中ではれっきとした友人たちなのである。おそらく経験のない人には若干奇異に見えることだろう。今日はその思い出話。
 その常連のチャット仲間にただ一人、西海岸から参加している女性がいた。ご存知のように、東と西では3時間の時差が存在し、東の23時は西の20時である。しかしそこはアメリカ、しっかり帰宅できていたのである。彼女のことは住んでいる都市とハンドルネームしか知らない。それでも毎日のようにわいわいと会話をし、1時間程度話して去っていくのである。『また明日!』の一言を残して。誰しもが現実の世界を優先させるがゆえ、いつしか時が過ぎるとこういう仲間は離れ離れになるのが常だが、最後に残った5人はそうでなかった。2、3、4月と4か月たってもほとんど毎日のように会話をしてきたのである。その中にしっかりと彼女はいた。さすがに夏が近づくと、他の3人がそれぞれの生活で奔走する中、参加頻度が減ってくるようになった。結果、彼女と二人で話す機会が多かったように記憶している。そんなとき自分がこのHPを立ち上げるためにチャットを疎かにした時期があった。たまに会う彼女も『忙しくなってきた』を頻繁に口にするようになり、そして、気がついたときには彼女の姿はチャットルームから消えていた。それ以来彼女はぱたりと見えなくなった。そして、代わりにできあがったのがスナチャットである。幸いその後、他の3人は忙しいながらもスナチャットを愛好してくれているので、彼らとのつきあいはかれこれ1年になる。感謝、感謝。しかし、その残った4人とも彼女の行方を知らない。自分にとっては、別に恋心というものではないが、それでも結構自分のことを素直に話していたような、ともすると日本にいる友人よりも自分の毎日を知っていた人、そんな存在である。たかがチャット仲間とも言えるが、ふとしたときに『どうしてるんだろうか?』と思ってしまうそんな相手である。
 ほろ苦いといえば、もう一つ。チャット歴1年ともなると、いくつか取り替えしのつかない失敗を経験する。相手が見えないがゆえ、そのスクリーンに見える言葉が重要な意味を持ってくる。そしてスクリーンに現われたその言葉を自分の想像する声が話して聞かせてくれるのである。電話で話すような相手にもなれば、その電話の声がスクリーンの言葉を話す。そのスクリーンの言葉は当然のことながら自分ないし相手がタイプした言葉である。時にそれが自分を感動させ、勇気づけ、時にそれが相手を傷つけ、怒らせてしまうのである。結果、一番仲の良かった友人をなくしてしまった。色々なことを話し、お互いの色々を交換したものの、結局は自分の態度と言葉で相手は離れて行ってしまったのである。今でもすれ違うことはある。しかし、どんなに自分の未熟さを反省したところで、それを元に戻すことはできないのである。すでに相手は自分の前からいないのだから。今からできること、それは同じ失敗を繰り返さないこと、なのである。人間本来の交友関係ではないとかバーチャルコミュニケーションとか言われているチャットの世界ではあるが、自分にとっては現実の交友関係よりも難しく、勉強させられる世界なのである。この2人、もう1度会って話してみたいな!

(January 19, 1999)
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